フランス革命とナポレオン戦争   <世界史の窓より>

3 フランス革命とナポレオン(前)

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ア.フランス革命の構造用語リストへ
 旧制度(アンシャン=レジーム) 
旧体制

A アンシャン=レジーム  

 絶対王政 のもとでの身分制と領主制の社会
・特権身分 聖職者= 第一身分 と貴族= 第二身分 からなる。
  封建領主として土地を支配し、官職を独占し、特権を持つ支配階級。
  特権の内容: 国王への租税を課せられない免税特権。
・平民=d 第三身分  の90%以上を占める。

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 e 農民 =人口の85%であるが全耕地の30~40%を保有するのみ。
    領主への地代、国王への租税、教会へのf 十分の一税 を負担。
 → 右図は平民が貴族など特権階級を背に苦しんでいる旧体制社会を風刺したもの。
 → 次第に少数の富裕な大農経営農民と多数の貧農、小作農に分裂。
・商工業の発達
 → 富裕なg 有産市民(ブルジョワ) が成長し無権利状態に対する不満を強める※。
  都市民衆は富裕者に反発、革命派民衆はh サン=キュロット といわれる。
 ※有産市民の不満の背景
  j 産業革命 進行中のイギリスの商品が流入し国内産業の発展が阻害されていた。
  ▲1786年  英仏通商条約 締結 →イギリス工業製品の流入 →国内産業を圧迫。
 旧制度 への不満の増大 
・商工業の発展 → a 有産市民(ブルジョワ) の成長 
  → 自由な経済活動を圧迫する旧制度と絶対王政への反発強まる。
 ブルボン朝・貴族による市民・農民への課税強化 → 農民暴動、都市の暴動起こる。
・ヴォルテール、ルソーらb 啓蒙思想   ┐
                     │
・c イギリス革命 で立憲政治の確立   ┼─→ 市民の自由への欲求が強まる。
                     │
・d アメリカ独立革命 での共和政の成立 ┘     
C. フランス革命 の勃発へ
・1789年 a シェイエス が、b 「第三身分とはなにか」 を発表。
 国民の意思は第三身分が代表すると主張。 ”第三身分とは何か。それはすべてである。”
・革命のうごきと4つの社会階層
 王権に対するc 貴族(第二身分) の反抗をきっかけに始まる。→ 王政から立憲君主制へ
 貴族にかわりd 有産市民(ブルジョワ) が台頭し、旧制度を廃棄し、権力を握る。
   → 立憲君主制から共和制へ。
 e 農民 と都市の革命派民衆(f サン=キュロット )革命の進展に大きな役割を果たす。
   → 同時に有産市民層とは利害が対立。資本主義化に反対し、次第に保守化する。
   → 共和制の動揺と、ナポレオンの帝政へ。
先頭へ
イ.立憲君主政の成立用語リストへ
 ルイ16世  の財政破綻
・ルイ14世以来の 宮廷の奢侈生活   ┐
                     │
・b イギリスとの植民地戦争の敗北    ┼─→ 財政難 → 増税策の必要
                     │
・c アメリカ独立戦争への援助      ┘
・ブルボン朝の 財政改革 の試み
  財務総監 d テュルゴー  重農主義による改革をめざすも、貴族の反対で失脚。
   〃   e ネッケル  銀行家。特権身分への課税を主張。
・1788年 国王、特権身分への課税を計画 → 特権身分、三部会の開催を要求。
革命の第1段階 <1789~1791>=絶対王政から立憲君主政へ
 三部会開催  ルイ16世が召集。
・1789年5月 175年ぶりにa ヴェルサイユ宮殿 で開催。
  第一・第二身分各約300名、第三身分約600名の議員を召集。
 → b 議決方法 で対立。第一・第二身分は身分別、第三身分は一人一票を主張。

Text p.228

 国民議会  の成立
・1789年6月 第三身分の代表、C 国民議会 の成立を宣言。
    a 球戯場(テニスコート)の誓い  憲法の制定までは解散しないことを誓う。 → ・図と解説
 → 国王、武力による議会弾圧をはかり、さらにネッケルを罷免。反発強まる。
・C 国民議会 の党派:王党派、立憲王政派、三頭派、共和派などが存在。立憲王政派が優勢。
 バスティーユ牢獄 襲撃
・a 1789年7月14日  :パリの民衆が蜂起、b バスティーユ牢獄 を襲撃。
 →  三色旗 の始まり。
 → 暴動が全国のc 農民 にも拡大。各地の貴族領主の館が襲撃される。( 大恐怖 )
・ 同  年8月4日 国民議会、d 封建的特権の廃止 の決議。
   = 領主裁判権や教会e 十分の一税 は無償廃止。
     しかし、封建地代はf 有償廃止 (農民が地代の20年分で買い戻す)とされた。
 フランス人権宣言 の採択
・1789年8月26日、国民議会で採択される。a ラ=ファイエット  の起草。
┌────────────────────────────────────────────┐
 │                                            │
 │  ┌1.人間はb 自由 かつ権利においてc 平等 なものとして生まれ、また存在する。 │
 │  │                                         │
 │ 要│2.国家の目的は、d 権利 (自由・所有・安全・圧政に対する抵抗)の保全である。 │
 │  │                                         │
 │ 点│3.あらゆる主権の原理(根源)は、本質的にe 国民 のうちに存する。       │
 │  │                                         │
 │  └17.f 所有 権は神聖かつ不可侵の権利である。                 │
 │                                            │
 └────────────────────────────────────────────┘
 意義:g 人間の自由・平等、主権在民、私有財産制など近代市民社会の原理を確立させた 
ヴェルサイユ行進

F ヴェルサイユ行進  

 ヴェルサイユ行進 
・1789年10月5日 食料の高騰に怒ったパリの主婦たちがa ヴェルサイユ宮殿 
  押しかけ、国王一族をパリに連行。国王、チュイルリー宮殿にはいる。
   → 国民議会もパリに移され政局の中心がパリになる。

Text p.229

・国民議会の諸改革 = ブルジョワ的な施策が進められる。
  1789年11月 教会財産の国有化 → ▲その財産を担保にアッシニア紙幣の発行
    ほかに行政区画、ギルドの廃止、度量衡の統一などを決定。
  1790年7月 ▲聖職者基本法を制定 教会を国家管理とする。
  1791年6月 ▲ル=シャプリエ法 労働者の団結を禁止。
・b ジャコバン=クラブ 結成される(1789年11月結成)
   当初はc ミラボー 、d ラ=ファイエット ら立憲君主政派が運動の中心となる。 → ※解説
 ヴァレンヌ逃亡事件  
・1791年6月 国王、王妃a マリー=アントワネット と国外逃亡を企て、国境で捕らえられる。
        → 国王への不信強まる。
  同 年7月 シャン=ド=マルスの虐殺 王政廃止を訴える民衆に対する立憲君主派政権による弾圧。
  同 年8月 神聖ローマ皇帝レオポルト2世 b ピルニッツ宣言  ルイ16世支援を声明。
 1791年憲法   同年9月14日 国民議会で制定。フランス最初の憲法。
  内容=a 立憲君主政、財産による制限選挙、一院制を定めたブルジョア憲法。 
  → 国民議会、役割を終え解散。
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ウ.戦争と共和政用語リストへ
革命の第2段階<1791~92> =立憲君主政から共和政へ
ラ=マルセイエーズ

 ラ=マルセイエーズ 

 立法議会 
・1791年10月 91年憲法による制限選挙実施により召集。
  ジャコバン=クラブの中が二派に分裂し、対立。
 a 立憲君主派 :自由主義貴族、上層市民など。b フイヤン派 という。
 c ジロンド派 :商工業市民の利害を代表。王政廃止と穏健な共和政を主張。
 1792年3月 穏健共和派のc ジロンド派 が権力を握り、内閣ができる。
・1792年4月 内閣、d オーストリアに宣戦  → フランス軍、連敗。
   民衆がe 義勇兵 を組織。国王、承認を拒否。
    → このとき義勇兵の中からf ラ=マルセイエーズ 歌われる。
・1792年 ▲g 8月10日事件  h サンキュロット と言われたパリの下層市民と、
  義勇兵がテュイルリー宮殿を襲撃。 → 図と解説 
  → 議会、王権停止を決議。フイヤン派は追放される。男子普通選挙実施を決定し、解散。
 国民公会 
・1792年9月 a 男子普通選挙 により選出。共和派が多数をしめる。
  一方で、オーストリア・プロイセン連合軍、パリに迫る。→ 急進派市民が穏健派を虐殺する9月虐殺事件。
  同 年9月20日 b ヴァルミーの戦い  フランス義勇軍、初めて勝利する。
 ▲ ゲーテ のことば c ”ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代が始まる。” 
  同 年9月21日 d 王政廃止 、共和政の樹立を宣言。=e 第一共和政 の成立。
ロベスピエール

 ロベスピエール  

 ジャコバン派 の台頭 主要なメンバーは以下の人びと。
・a マラー  急進的共和派。新聞『人民の友』を発行。93年、ジロンド派支持者の女性に暗殺される。
 b ロベスピエール  国王処刑を主張した急進共和派。恐怖政治の中心人物。(右図)
 c ダントン  急進派から穏健派に転じ、粛清される。
 → 都市民衆・農民の支持を受けた急進的共和派が台頭。
   彼らは国民公会で最左翼の高い議席をしめたのでd 山岳派 とも言われる。
 → e ジャコバン派 は急進派を意味するようになる。

Text p.230

 ルイ16世 処刑 
・1793年1月21日 a ジャコバン派 の主張により実行される。
  → 3月 反発したイギリスの首相b ピット の主唱によりc 第1回対仏大同盟 結成。
  同 年3月 王党派の指導する農民反乱=d ヴァンデーの乱 などの反革命暴動が起こる。
  → 革命の進行を恐れるe ジロンド派 との対立深まる。
革命の第3段階<1793.1~94.7>=急進的共和政
 ジャコバン派の独裁 
・1793年6月 a サンキュロット が蜂起し、国民公会からb ジロンド派 を追放。
  同  年同月 国民公会、c 1793年憲法 (ジャコバン憲法ともいわれる)を採決。
   内容=d 主権在民、男性普通選挙制の他、生活権、労働権、抵抗権を定めた最初の民主的憲法。 
  → 人民投票でも支持されたが、対外的な危機を理由に延期され、結局施行されなかった。
・国民公会の諸決議
 e 封建地代の無償廃止  農奴制を撤廃し、小土地所有農民の形成をめざす。 
 f 亡命貴族(エミグレ) から没収した土地(国有財産)を競売にする。
 g 最高価格令 の制定、買占めの禁止など。
 h 徴兵制 の実施。18歳から35歳までの男性を徴用。国民軍の創設。
 i 革命暦 の制定。グレゴリウス暦を否定、共和暦ともいう。
 j メートル法 の制定(実施は99年)。
 k 理性の崇拝  エベールらによる非キリスト教化運動。(ロベスピエールは反対する)
・機関 l 公安委員会 :国民公会の中の委員会で内政、軍事上の最高指導機関となる。
   ▲m 保安委員会 :警察機関。▲n 革命裁判所 :反革命の政治犯を裁く。
・o 恐怖政治  マリー=アントワネットや王党派・ジロンド派をp ギロチン で処刑。
  支持層=a サンキュロット といわれる議会外の革命派の民衆。
・内紛  エベール (急進派)、ダントン(穏健派)らを粛清。
  → 厳しい戦時統制と独裁に反発強まる(背景:土地を獲得した農民の保守化)
・1784年6月  最高存在の祭典  挙行。理性の祭典を収束させ、革命への忠誠強化を図る。
 テルミドールのクーデタ 
・1794年7月27日(革命暦熱月9日) a ロベスピエール 捕らえられ処刑さる。
  = 「テルミドール9日の反動」とも言われる。
  → b ジャコバン派 独裁による恐怖政治が終わる。穏健共和派(ブルジョワ共和派)が政権握る。
皇帝ナポレオンの誕生(次ページへ)

 

 エ.皇帝ナポレオンの誕生

 総裁政府  の政治 国民公会で穏和派共和主義者が優勢となる。
・1795年10月 a 1795年憲法 制定。 財産による制限選挙制にもどる。
    立法府:上下二院からなる。  行政府:総裁政府。5人の総裁からなる。
 → 亡命貴族・王党派の反政府運動が続く。ジャコバンの残党も活動し、政情不安定。
 同 年10月 総裁政府に対する王党派の反乱をナポレオンの指揮する軍隊が鎮圧。
・1796年5月 b バブーフの陰謀事件  ブルジョワ政権打倒と私有財産の否定を主張、
        武装蜂起が発覚し、処刑される。
 → 混乱続き、ブルジョワや農民は安定した政権の出現を望む。

Text p.231

 ナポレオン=ボナパルト 
ナポレオンのアルプス越え

ダヴィドの描いたB ナポレオン  

 a コルシカ島 の小貴族出身 初めジャコバン派軍人。
・1796年 b イタリア 遠征 アルプスを越えオーストリア軍などを破る。
   97年 カンポ=フェルミオの和約、南ネーデルラント・ロンバルディア獲得。
  → これ以後、彼の関わった一連の戦争を ナポレオン戦争 という。
 1798年 d エジプト 遠征 イギリスのインド支配に対抗。
       このとき、e ロゼッタストーン の発見。
  → アブキール湾の海戦では、ネルソン率いるイギリス海軍に敗れる。
 1799年 f 第2回対仏大同盟 を結成。
   = イギリスのピットが主導し、ロシア・オーストリアと同盟。
  → 総裁政府、対応できず、国民の信頼を失う。独断でエジプトから帰国。
・1799年11月 g ブリュメール18日のクーデタ  総裁政府を倒す。
    三人の統領からなる統領政府をたて、第一統領に就任。
  → 独裁権を握る。事実上の革命の終わり。
 統領政府   執政政府ともいう。
・a ナポレオン 、1799年から第一統領、1802年からは終身統領として独裁政治を展開。
・外征 b ヨーロッパ各地にフランス革命の理念を”輸出”することとなった。 
 1800年 再びアルプスを越え、マレンゴの戦いでオーストリアを破る。
  → 01年 リュネヴィルの和約で、ライン左岸を獲得。オーストリアはイタリアを放棄。
 1801年 c コンコルダート (宗教協約):革命以来のローマ教皇との対立を解消。
 1802年 d アミアンの和約  イギリスとの和約。
         一方、中南米のe ハイチ 独立運動は抑圧。→1804年に独立達成(後出)。
・内政 f フランス革命の成果の定着をはかる。 
 1800年 g フランス銀行 設立 → 国内産業の保護。
 1802年 h 公教育制度 の確立:産業と軍事の近代化のため教育の普及をめざす。
 1804年 i 民法典(ナポレオン法典) 制定。:
       内容:私有財産の不可侵、法の前の平等、契約の自由、家族の尊重を主とする。
       意義:フランス革命の成果である近代的市民社会の原理を確定した。 
 第一帝政  
・1804年5月 国民投票で皇帝a ナポレオン1世 となる。 → ・図と解説
 → 以後、1815年まで、皇帝として全ヨーロッパに君臨する。

 

 

 ナポレオンの大陸支配  
・1805年 イギリス(首相a ピット )、オーストリア・ロシアとb 3回対仏大同盟 を結成。
  同 年10月 c トラファルガーの海戦  d ネルソン提督 率いるイギリス海軍に敗れる。
     12月 e アウステルリッツ三帝会戦 
   → オーストリア(神聖ローマ皇帝フランツ2世)・ロシア(皇帝アレクサンドル1世)の連合軍を破る。
・1806年 f ライン同盟 結成。西南ドイツ諸国を支配。
 → 神聖ローマ皇帝フランツ2世、帝位を放棄しg 神聖ローマ帝国消滅 する。
  同 年 h イエナの戦い  ナポレオン軍、プロイセン軍を破る。
・1806年 オランダの バタヴィア共和国 を滅ぼし、弟ルイを国王として オランダ王国 とする。
 → 1810年 直轄領とする。
 大陸封鎖令   1806年 a ベルリン で発布。
・大陸諸国にb イギリス との通商を禁止。フランス産業の大陸市場独占を狙う。
   → c 産業革命 を達成していたイギリスに対抗できず、失敗する。
C 大陸支配の完成 
・1807年 a ティルジット条約 をプロイセン、ロシアと締結。 
   プロイセンは賠償金と領土割譲、ロシアは大陸封鎖令への協力を約束。
 → プロイセン領のエルベ川以西にウェストファリア王国(弟ジェロームを王とする)、
   旧ポーランドにb ワルシャワ大公国 をつくる。
  同 年  ポルトガル征服 、さらに
 1808年 c スペイン征服  兄ジョセフを国王とする。
 1810年 オーストリアのd ハプスブルク家 皇女と結婚。ナポレオンの全盛期。

Text p.233

D 民族意識の発芽
ゴヤ 1805.5.3

 ゴヤ 『1808年5月3日』

・ナポレオンの掲げた「封建的圧政からの自由」という思想が、被征服地で
   民族の自由と独立を求める運動を起こすこととなった。
・1808~14年 a スペインの反乱 (半島戦争)
  ナポレオン、兄ジョセフをスペイン王とする。
   → 首都マドリッドの市民が反フランスのゲリラ戦を展開。
  b ゴヤ 『1808年5月3日』 ナポレオン軍の虐殺を描く。(右図)
  イギリスが反乱を支援、ナポレオンの半島支配完成できず。
・c プロイセン の国内改革:
  d シュタイン ・e ハルデンベルク による近代化政策。
  → f 農民解放 :ユンカー支配下の隷属農民を解放(封建的負担は有償廃止)。
    都市の自由、営業の自由、教育改革、軍制改革などを含む上からの改革。
   ▲g フィヒテ (哲学者)の『ドイツ国民に告ぐ』の講演。
  → 一定の改革をとげたプロイセンが、後のドイツ統一の中心勢力となる。
 ロシア遠征 の失敗
・ ロシアがa ティルジット条約 に反し、大陸封鎖令を無視してイギリスに穀物輸出。
・1812年 ナポレオン、b ロシア遠征 を開始。  → 9月 c モスクワ 入城。
  → ロシア皇帝d アレクサンドル1世 、(指揮官クツーゾフ将軍)は後退策をとる。
    冬にはいりロシア軍反撃始しナポレオン軍大敗する。参考 トルストイ e 『戦争と平和』 
1813年 イギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアなどf 第4回対仏大同盟 結成。
 → ナポレオンに対する解放戦争開始。
 解放戦争 の展開
・1813年 a ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)  解放戦争の開始。
 → プロイセン・オーストリア・ロシアの連合軍、ナポレオン軍を破る。
・1814年 連合軍、パリ入城。ナポレオン退位しb エルバ島 に移住。
 → フランスのブルボン王朝の復活(c ルイ18世 即位)
 → ヨーロッパ諸国、戦後処理のため、d ウィーン会議 開催。(後出)
・1815年2月 ナポレオン、エルバ島脱出、パリに帰り復位。
 同  年6月 e ワーテルローの戦い  ウェリントン 率いるイギリス軍に敗れる。
 → f セント・ヘレナ島 に流される =g ナポレオンの百日天下 
フランスはブルボン朝ルイ18世復位し「復古王政」へ。→ ウィーン体制の成立。
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一緒に解いてみよう
フランス革命とナポレオン/確認テスト(第1問)

高校世界史 フランス革命とナポレオン6 確認テスト(前半)

解説

これでわかる!
問題の解説授業
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第24章「フランス革命とナポレオン」の確認テストです。
この章で学んだ内容を、問題を解いて確認しましょう。

問題(1)

問題1(1)

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空欄A。
革命前のフランスの政治・社会体制といえば?
正解はアンシャン=レジームです。
旧体制・旧制度という意味があります。
この体制においては、第一身分と第二身分は税金を免除されている一方、第三身分のみが税金を課せられていました。 第三身分は貧しい人が多く、彼らの生活は圧迫されていたのです。

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空欄B。
ルイ16世が登用した重農主義者といえば?
正解はテュルゴーです。
彼は重農主義に基づいて自由な経済活動を目指しましたが、改革は失敗に終わりました。

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空欄C。
テュルゴーと同じく、ルイ16世に登用された銀行家といえば?
正解はネッケルです。
特権身分の反発にあい、彼の改革も失敗してしまいました。

(1)の答え
問題1(1)答え入り

問題(2)

問題1(2)

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空欄A。
ネッケルによる免税特権廃止の提案に特権身分が反発し、開催を求めたものといえば?
正解は三部会です。
特権身分の要求により、ルイ13世以来召集されていなかった三部会が久しぶりに開催されることになります。

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空欄B。
第三身分とは何か』を著し特権身分を攻撃した人物といえば?
正解はシェイエスです。

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空欄C。
第三身分が三部会から離脱して結成したものは?
正解は国民議会です。
彼らは憲法制定まで解散しないという誓いを結びました。これを球戯場の誓いといいます。ちなみに国民議会は、後に憲法制定議会と改称されました。

(2)の答え
問題1(2)答え入り

問題(3)

問題1(3)

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空欄A。
この事件を機にフランス革命が始まったという記述がヒントです。
正解はバスティーユ牢獄(襲撃)事件ですね。
この事件をきっかけにフランス革命が始まり、革命の動きは全国に拡大していきました。

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空欄B。
国民議会は、中世から続く領主裁判権や十分の一税などを廃止しました。
これを封建的特権の廃止といいます。

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空欄C。
ラファイエットらによって起草された、という記述がヒントです。
正解は人権宣言ですね。
人権宣言ではフランス革命が目指す理想が掲げられ、革命の指針を世の中に知らしめることとなりました。

(3)の答え
問題1(3)答え入り

問題(4)

問題1(4)

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空欄A。
国王一家がパリに連行された事件といえば?
正解はヴェルサイユ行進です。

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空欄B。
国王と議会とのパイプ役を担っていた人物といえば?
正解はミラボーです。

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空欄C。
国王一家が国外へ逃亡を企てた事件といえば?
正解はヴァレンヌ逃亡事件です。
ミラボーの死後、国王一家は革命の中心地であるパリにいることに不安を抱いていました。彼らはオーストリアへ逃亡し、絶対王政を復活させようとたくらんだのです。国王一家が逃亡を企てたことは国内に広まり、国王に対する評判は一気に下落してきました。その結果、国王は不要だと唱える共和主義者たちが支持を集めるようになったのです。

(4)の答え
問題1(4)答え入り

問題(5)

問題1(5)

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空欄A。
国民議会の解散後に制限選挙によって成立した議会といえば?
正解は立法議会です。

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空欄B。
立法議会において次第に台頭し、内閣を組織した派閥といえば?
正解はジロンド派です。
彼らは国王がいない共和政を望む人びとの代表でした。

(5)の答え
問題1(5)答え入り

問題(6)

問題1(6)

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空欄A。
義勇軍やサンキュロットらが国王の宮殿を襲撃した事件といえば?
正解は8月10日事件です。
これを受けて立法議会は王権の停止を宣言し、さらに男性普通選挙の開催を宣言して事態の収集をはかり、その後議会を解散しました。

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空欄B。
フランスの義勇軍が初めて勝利した戦いといえば?
正解はヴァルミーの戦いです。
フランスの王権が停止され、さらにフランスの義勇軍が初めてプロイセン・オーストリア軍に勝利。この勝利は、フランスの新しい歴史が生まれるきっかけとなりました。

(6)の答え
問題1(6)答え入り

問題(7)

問題1(7)

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空欄A。
立法議会が解散した後男性普通選挙によって成立した議会といえば?
正解は国民公会です。

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空欄B。
国民公会において、マラー暗殺後に実権を掌握した人物といえば?
正解はロベスピエールです。
彼は公安委員会に権力を集中させ、恐怖政治を展開していきます。

(7)の答え
問題1(7)答え入り

ナポレオン・ウイーン体制

~ 1801 年)でオーストリアをマレンゴの戦いで破った。リュネヴィル条約でライン左岸をオース

トリアより獲得,1802 年の(15)〔 〕でイギリスと和約,第2回対仏大同盟を解体した。

共和国第8年の憲法で所有,平等,自由の原則を掲げ,1800 年には(16)〔 〕を設立した。

(17) (18) ぼっしゅう1802 年,教皇 〔 〕との宗教和約 = 〔 〕でカトリックを許可,しかし革命時の没 収 教

へんかん ゆうへい会財産は返還しなかった。のちナポレオンは教皇ピウス7世をフォンテンブローに幽閉する。また

同年,黒人奴隷制度が復活した。
1802 年,公教育一般法を制定,
(19)〔 〕年には,フランス民法典 =(20)〔 〕を発布した。全 文 2281 条で人身の自由,法の前の平等,(21)〔 〕の絶対,(22)〔 〕の自由,良心の自由などブ ルジョワ市民社会の基本的権利を規定した。“余の名誉は 40 回に及ぶ戦勝ではない。永遠に残るの はこの民法典である”

 

解答

(1)コルシカ島 (2)イタリア遠征 (3)オーストリア (4)カンポ = フォルミオ (5)第1回対仏大同盟 (6)エジプト (7)アブキール湾 (8)ネルソン (9)ロゼッタ = ストーン (10)第2回対仏大同盟 (11)1799 

とうりょうせい ふ
(12)ブリュメール 18 日のクーデタ (13)統 領 政府 (14)イタリア遠征 

(15)アミアンの和 (16)フランス銀行 (17)ピウス7世 (18)コンコルダート (19)1804 (20)ナポレオン法典 (21)私的所有権 (22)契約 

 

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第 35 講 ナポレオン・ウィーン体制

びんぼう ほうへい
ナポレオン = ボナパルトは(1)〔 〕の貧乏貴族出身で,砲兵士官になり革命中はジャコバン派

とうごく
を支持,テルミドールの反動で一時投獄された。1795 年には王党派のヴァンデミエールの反乱を鎮

圧し国内軍司令官に任命された。1796 年には(2)〔 〕司令官として第1回イタリア遠征で(3)〔 〕軍を撃破し(4)〔 〕の和で(5)〔 〕を解体,この条約でフランスは南ネーデルラン

ト(ベルギー)とアドリア海諸島を獲得した。
1798 年イギリスのインド支配打倒を目的とした
(6)〔 〕遠征の(7)〔 〕の戦いで(8)〔 〕 率いるイギリス艦隊に敗北,この遠征のときナイル河口で(9)〔 〕の碑文が発見された。このと き(10)〔 〕(1799 ~ 1802 年)が結成された。この間の(11)〔 〕年の 11 月9日,(12)〔 〕で

(13)〔 〕を樹立しフランス革命に終止符を打った。

【統領政府】統領政府はフランスの銀行資本に財政的に支援され,シェイエス,ディコス,そして(14)

ナポレオンの3人の統領だったが,事実上,第1統領ナポレオンの独裁だった。第2次 〔 (〕1800

 

(23) (24) こう ごう (25)【第1帝政】 〔 〕年,国民投票で皇帝に就任 〔 〕を名乗る。皇后は 〔 〕。

(26)〔 〕寺院に教皇(27)〔 〕を呼びつけ戴冠させた。その絵を描いた画家が(28)〔 〕である。 これにたいして(29)〔 〕が結成される。(30)〔 〕年には「黒いジャコバン」(31)〔 〕の革命 の結果,(32)〔 〕がフランスから独立した。(33)〔 〕年の(34)〔 〕の海戦では再び(35)〔 〕に破れイギリス上陸作戦に失敗したが,12 月2日には霧の中(36)〔 〕の3帝会戦ではロシアの(37)〔 〕とオーストリアの(38)〔 〕を 破りヨーロッパを恐れさせ,英首相小ピットは心痛から死亡した。こうして第3回対仏大同盟が解 体した。

【最盛期】(39)〔 〕年には南西ドイツつまり(40)〔 〕と(41)〔 〕を除く全ドイツの保護者と なり(42)〔 〕を結成,1648 年のウェストファリア条約で既に有名無実化していた(43)〔 〕が 滅亡した。兄ジョセフを(44)〔 〕王のち(45)〔 〕王(1808 年)弟ルイ(後のナポレオン3世 の父親)をフランス革命の影響でバタヴィア共和国となっていた(46)〔 〕王にした。(47)〔 〕の戦いでプロイセンとロシアを破り(48)〔 〕を占領した。占領下のベルリンで

(49)〔 〕が『(50)〔 〕』という連続講演を行いドイツのナショナリズムが高揚した。ナポレオン

法典がドイツの民情に合わないので(51)〔 〕は(52)〔 〕派を始め,その弟子が『グリム童話』

を書いた。1806 ~ 07 年の(53)〔 〕で対英経済封鎖とフランス資本の大陸市場独占を図ったが,

 これはむしろ大陸諸国にとって大打撃だった。

(54)〔 〕年の対ロシア,対プロイセンの(55)〔 〕でプロイセンの領土を半減させ,その西に

(56) (57) (58) かいらい
ボン生まれの 〔 〕が生活した 〔 〕,東に 〔 〕という傀儡政権を建設した。

1808 年にスペインを征服するが(59)〔 〕では(60)〔 〕(小さい戦争の意)に悩まされ,最後 まで鎮圧できなかった。その時の絵が(61)〔 〕の「1808 年5月3日」だ。プラド美術館(マ ドリード)蔵

解答

(23)1804 (24)ナポレオン1世 (25)ジョセフィーヌ (26)ノートルダム (27)ピウス7世 (28)ダヴィド (29)第3回対仏大同盟 (30)1804 
(31)トゥサン = ルーベルチュール (32)ハイチ (33)1805 (34)トラファルガー (35)ネルソン (36)アウステルリッツ (37)アレクサンドル1世 (38)フランツ2世 (39)1806 (40)オーストリア (41)プロイセン (42)ライン同盟 (43)神聖ローマ帝国 (44)ナポリ (45)スペイン (46)オランダ (47)イエナ・アウエルシュタット (48)ベルリン (49)フィヒテ (50)ドイツ国民に告ぐ (51)サヴィニー (52)歴史法学 (53)大陸封
ふうさ 令 (54)1807 (55)ティルジット条約 (56)ベートーベン (57)ウェストファリア王国 (58)ワルシャワ大公国 (59)半島戦争 (60)ゲリラ (61)ゴヤ 

 

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プロイセンでも国政改革がすすんだ。(62)〔 〕の農民解放,都市自治,それを受け継いだ(63)〔 〕の農民への土地授与,中央政府機構の整備などの改革,シャルンホルスト,グナイゼナ ウの国民軍の創設などの軍政改革,(64)〔 〕の教育改革と(65)〔 〕の創設(1811 年)などが

(66)
それである。ベルリン大学の初代の総長が 〔 〕。のちに世界史を「絶対精神実現のプロセスだ」

べんしょうほう きょうだんと単線的な進歩史観で定義した弁 証 法(67)〔 〕も 教 壇に立った。

ナポレオンは 1810 年オーストリアの皇女マリ = ルイーズと結婚した。
しゃ よう ちょうばつ (68) (69)

【斜陽期】大陸封鎖令に違反した 懲 罰として始まった

〔 〕では 〔 〕を占領したが,ロシアの 〔 〕将軍の 焦 土戦術の前に失敗,1813 年 〔 〕が

(70) (71) しょう ど

〔 〕の戦いののち(72)

結成されヨーロッパの大半の国が参加,(73)〔 〕の諸国民戦争で墺,普,露の連合軍に破れ(74)〔 〕へ流された。1814 年4月に退位し(75)〔 〕が開催されるが“議会は踊る,されど進 まず”でそのうちナポレオンがエルバ島を脱出,1815 年3月 20 日から6月 22 日までの百日天下に たいし,第5回対仏大同盟が結成され,(76)〔 〕の戦いでイギリスの(77)〔 〕とプロイセンの

ブリュッヘルに破れ,南大西洋の(78)〔 〕に流された。

ナポレオンはヨーロッパに2つの種を蒔ま いた。自由主義の種と国民主義の種。占領地域に『ナポ

レオン法典』を適用し自由主義経済の原則を根づかせた。また侵攻され占領された地域のナショナかくせい

リズム(国民意識)を覚醒させた。

解答

(62)シュタイン (63)ハルデンベルク (64)フンボルト (65)ベルリン大学 (66)フィヒテ (67)ヘーゲル (68)ロシア遠征 (69)ボロジノ (70)モスクワ (71)クトゥーゾフ (72)第4回対仏大同盟 (73)ライプツィヒ (74)エルバ島 (75)ウィーン会議 (76)ワーテルロー (77)ウェリントン (78)セントヘレナ

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2

【ウィーン会議】ナポレオン1世を(1)〔 〕に流し,オーストリア・ハプスブルク家の宰相ひざもと

ていしょう

ちつじょ

(2)〔 〕のお膝元で(3)〔 〕が開かれウィーン体制(メッテルニッヒ体制)が始まった。会議 の中心は,フランス外相(4)〔 〕とロシア皇帝(5)〔 〕世の三人。 「会議は踊る,されど進まず」と言われ舞踏会ばかりで議事進行がままならず,途中ナポレオン が脱出して再度皇帝になった。 ウィーン体制の原則はタレーランが提唱した(6)〔 〕で,フランス革命勃発時(1789 年7月 14 日)の支配者・領土が正統というものだ。 同盟は(7)〔 〕。アレクサンドル1世が提唱したもので,キリスト教の友愛精神による秩序維 持が趣旨であるが,英外相カッスルレーはナンセンス!と言った。ギリシア正教会の世俗代表のロ シア皇帝の言う「友愛」に,カトリックの教皇,英国国教会のイギリス,イスラームのオスマン帝 国は参加せず,実質的な同盟は(8)〔 〕だった。イギリス・オーストリア・プロイセン・ロシア の四国で後にフランスも加わり五国同盟となった。 ウィーン体制の基本的性格は保守反動王家による支配を保ち守って,革命・民族運動・国民に よる国家形成はおさえこむというものだ。

(9)〔 〕】ウィーン会議による決定事項として以下のことを暗記しよう。 1フランス・スペイン・ナポリで(10)〔 〕が復活 2イギリスはオランダから(11)〔 〕(現スリランカ),(12)〔 〕,フランスから(13)〔 〕を獲


3オーストリア = ハプスブルク家は
(14)〔 〕・(15)〔 〕を回復 4南ネーデルラント(現ベルギー)は(16)〔 〕領に 5ドイツはライン同盟が廃止され,主権がある 35 君主国4自由市(リューベック・ハンブルク・

ブレーメン・フランクフルト)から成る(17)〔 〕になり,(18)〔 〕が議長国,(19)〔 〕に 連邦議会

解答

(1)エルバ島 (2)メッテルニヒ (3)ウィーン会議 (4)タレーラン 

page4image2847981616page4image2847981888page4image2847989552page4image2847989824page4image2847990096page4image2847990368page4image2847990640page4image2847990912

(9)ウィーン議定書 (10)ブルボン家 (11)セイロン島 (12)ケープ植民地 (13)マルタ島 (14)ヴェネツィア (15)ロンバルディア (16)オランダ (17)ドイツ連邦 (18)オーストリア (19)フランクフルト 

(5)アレクサンドル1 (6)正統主義 (7)神聖同盟 (8)四国同盟 ぎ ていしょ

 

 

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6プロイセンは(20)〔 〕の北半分と(21)〔 〕を領有しいよいよフランスに接近 7ロシアは(22)〔 〕を獲得 8ロシア皇帝は(23)〔 〕立憲王国を支配(事実上第4次ポーランド分割) 9スウェーデンはデンマークから(24)〔 〕を獲得 10スイスは(25)〔 〕に ウィーン体制がその理念どおり自由を抑圧できた例は4つ。ドイツの(26)〔 〕の運動,イタリ アの(27)〔 〕の運動,スペインのリェゴによる(28)〔 〕,ロシアの(29)〔 〕。逆に抑えなかっ た2例が(30)〔 〕の独立と(31)〔 〕の独立だ。

解答

(20)ザクセン (21)ラインラント (22)フィンランド (23)ポーランド (24)ノルウェー (25)永世中立国 (26)ブルシェンシャフト (27)カルボナリ党 (28)立憲革命 (29)デカブリストの乱 (30)ギリシア (31)ラテンアメリカ諸国 

 

page5image2962981392page5image2962981664page5image2962982000page5image2962982272page5image2962982544page5image2962982816page5image2962983152page5image2962983424page5image2962983696page5image2962983968page5image2962984240

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3
ラテン = アメリカ初の独立国,世界初の黒人共和国はフランス植民地サント = ドマングつまり

(1)〔 〕だ。「黒いジャコバン」といわれた(2)〔 〕が指導,ナポレオンが介入したが 1804 年 に独立宣言 1806 年に独立した。 ベネズエラやアルゼンチンではスペイン本国の重商主義政策への反発と安価なイギリス製品を求

(3)
め自由貿易体制への移行を望んだ。1808 年の 〔 〕のスペイン侵攻を機に独立運動が始まった。

【シモン = ボリバルとサン = マルティン】(4)〔 〕はコロンビアを転戦し亡命生活を経てベネズ

エ ラ に 再 上 陸,( 5)〔 〕 年 に は( 6)〔 〕・( 7)〔 〕(( 8)〔 〕 を 含 む )・( 9)〔 〕 を(10)〔 〕として独立させた。1830 年には各々に解体した。

1816 年にはラプラタ連合が(11)〔 〕として独立宣言,1825 年にはイギリスの調停でブラジル

との緩衝地帯として(12)〔 〕が形成された。1817 ~ 18 年(13)〔 〕はアンデス山脈を越えて(14)〔 〕を解放。スペインの南米支配の本拠地(15)〔 〕(現ペルー)を 1821 年に解放し,1822 年にはエクアドルのグアヤキルでシモン = ボリバルと会見し後事を託す。ボリバルは内陸部アルト

= ペルーの王党派を撃破して(16)〔 〕が独立,名称は彼の名に由来する。

【メキシコ】メキシコのような本国スペインとの経済的結びつきの強い地域では(17)〔 〕も保守 的だった。1810 年には下級クリオーリョの(18)〔 〕神父が奴隷制廃止などの急進的要求を掲げ た運動を始め先住民やメスチーソが多数参加したが 1811 年に処刑された。1813 年にはメスチーソ の(19)〔 〕が奴隷制廃止,土地改革を主張して独立宣言したが 1815 年に処刑された。

1820 年にスペイン本国で(20)〔 〕によるブルボン家への立憲革命が起き 1812 年自由主義憲法 が復活した。この影響でメキシコも独立に傾き 1821 年(21)〔 〕を皇帝に独立した。メキシコで は 1855 年に法相(22)〔 〕による改革がなされ既得権にメスが入った。保守派やカトリック教会 は(23)〔 〕に支援を要請,フランス・スペイン・イギリスがメキシコ出兵,共和政府を倒しオー ストリア皇帝の弟マクシミリアンを皇帝に擁立した。


(1)ハイチ (2)トゥサン = ルーヴェルチュール (3)ナポレオン 1 世 
(4)シモン = ボリバル (5)1819 (6)ベネズエラ (7)コロンビア (8)パナマ (9)エクアドル (10)グラン(大)= コロンビア (11)アルゼンチン (12)ウルグアイ (13)サン = マルティン (14)チリ (15)リマ (16)ボリビア (17)クリオーリョ (18)イダルゴ (19)モレロス (20)リェゴ (21)イトゥルビデ (22)フアレス (23)ナポレオン3世

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しかしメキシコ民衆の反乱や疫病でフランス軍は壊滅,南北戦争を終えた合衆国の介入もありフ ランス軍はマクシミリアンを見捨て撤兵,皇帝は銃殺された。 このフアレスのもと対仏戦争に活躍したが後に反動化したのが(24)〔 〕。かれは 1910 ~ 17 年 のメキシコ革命で打倒されるまで独裁体制を維持した。ディアスを打倒し大統領になったのが

(25)〔 〕だが,土地改革に否定的で(26)〔 〕指導の農民勢力と対立したので政権は不安定でクー デターで暗殺された。
(27)〔 〕は(28)〔 〕に勝利し大統領に就任し 1917 年に,土地改革・地下資源の国有化・政 教分離・社会的権利の保障などを定めた憲法を発布したが,憲法を履行せず民衆の支持を失い暗殺 された。サパタはカランサ派に暗殺された。

【ブラジル】唯一ポルトガル領だったのが(29)〔 〕。ナポレオン戦争期にイギリスがポルトガル 王室をブラジルに避難させた。ナポレオン失脚後,王は帰還したが王子が 1822 年に皇帝に即位し 独立を宣言。1889 年には共和国になった。社会学の祖で実証主義哲学を体系化したといえばフラン スの(30)〕だが,彼が始めた宗教が人間教。その信者が多いからブラジル国旗は地球をかたどっ ている。

(31)〔 〕 年 に(32)〔 〕 で 初 の 革 命 に よ ら な い 社 会 主 義 政 権 を 樹 立, 鉱 山 国 有 化 し た の が(33)〔 〕。 ア ジ ェ ン デ 政 権 を(34)〔 〕 年 に 打 倒 し 権 威 主 義 政 府 を 樹 立, 国 民 を 弾 圧 し た の が(35)〔 〕。1990 年代ペルーの日系人大統領が(36)〔 〕。キューバ革命のアルゼンチン人,1967

年ボリビアで死亡したのが(37)〔 〕。戦後アルゼンチンで国家社会主義政策,妻がエビータと言 えば(38)〔 〕。


解答

(24)ディアス (25)マデロ (26)サパタ (27)カランサ (28)メキシコ革命 (29)ブラジル (30)コント (31)1970 (32)チリ (33)アジェンデ (34)1973 (35)ピノチェト (36)フジモリ (37)チェ = ゲバラ (38)ペロン

page7image2963588784page7image2963589056page7image2963589392page7image2963589664page7image2963589936page7image2963590208page7image2963590544page7image2963590816page7image2963591088page7image2963591360page7image2963591632page7image2963591904page7image2963592176page7image2963592448

第 35 講 テスト
page8image2957364048page8image2957196704page8image2963312496page8image2957344864

1 ブリューメル 18 日のクーデターで倒されたのは。 1 立法議会
2 総裁政府
3 国民公会

4 統領政府

2 第1帝政が始まったのはいつか。 1 1792 年
2 1804 年
3 1815 年

4 1830 年

3 ウィーン会議によって即位したのは。 1 シャルル 10 世
2 ルイ 18 世
3 ルイ = フィリップ

4 ルイ = ナポレオン

4 古い順に並べかえた場合に3番目にくるのは。
 1 ワーテルローの戦い
 2 ライプツィヒの戦
 3 アウステルリッツの三帝会戦
 4 トラファルガーの海戦

5 古い順に並べかえた場合に3番目にくるのは。 1 ライン同盟成立 2 ワルシャワ大公国成立 3 『ナポレオン法典』成立

4 ロゼッタ = ストーン発見

6 正統主義を唱えたのは。 1 メッテルニヒ 2 タレーラン 3 アレクサンドル 1 世 4 ディズレーリ

 

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7 神聖同盟に加盟しなかったのは。
 1 ロシア
 2 フランス
 3 イギリス

4 オーストリア

8 ウィーン会議においてイギリスが獲得した領土は。
 1 キプロス島
 2 キオス島
 3 セイロン島

4 クレタ島

9 ウィーン会議の結果,ポーランドを実質支配することになった国は。
 1 オーストラリア
 2 ロシア
 3 オスマン帝国

4 スウェーデン

10 ウィーン会議の結果,南ネーデルラント(ベルギー)はどの国の領土になったか。 1 イギリス
2 フランス
3 オランダ

4 スペイン

 

第 35 講 テスト解答

1 2  2 2  3 2  4 2  5 1  6 2  7 3  8 3  9 2  10 3