その結果、開戦を決断し、その重い政治的責任を有していたドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、政治的混乱の中で、一九一八年一一月九日にオランダに亡命してしまった。皇帝という戦争指導者を失ったドイツは、暫定政権の下で休戦を決断して、ここに第一次世界大戦が終結する。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
アドルフ・ヒトラー率いるナチスは、ヴェルサイユ体制が正当性を欠いていることを厳しく攻撃することで国民の支持を拡大し、歴史を書き直す必要を訴えた。傷ついた国民の自尊心にアピールして、自らの正義と、外国人の醜さを騒ぎ立てることで、権力を掌握することができた。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
国際政治における正義もまた、単調な色彩で描けるものではない。にも拘わらず、それがどのような色彩であるかを、正確に把握することが求められている。それゆえに、歴史認識を語る場合には、広い視野と深い知識、そして多様な要因をバランスよく総合する、知的な努力が求められる。それは、自らに都合が良くないような事実も真摯に受けとめる勇気と誠実さが求められている。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
歴史家のカーは、この問題について、名著『歴史とは何か』のなかで次のように書いている。すなわち、「忘れられた真理」として重要なものは、「歴史上の事実は純粋な形式で存在するものでなく、また、存在し得ないものでありますから、決して『純粋』に私たちへ現われて来るものではないということ、つまり、いつも記録者の心を通して屈折して来るものだということです」。したがって、われわれが歴史を学ぶ場合は、「私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります」。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
ポストコロニアリズムの旗手、文学批評家のエドワード・サイードはそれまでの歴史学では、中東を西洋の視座から劣った文明として位置づける傾向があると、西洋の優越を前提とする世界観を激しく批判した(1 8 )。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
意識的にせよ、無意識的にせよ、われわれは過去に関する知識を自分たちの現在の目的に利用したいとも思っている」。つまりは、サイードの場合はアメリカのイスラエル寄りの中東政策を批判するという目的のために、そしてフェミニズムの歴史家は女性の権利の拡大という目的のために、いわば歴史を利用するようになっていった。歴史学はそれ自体が職業ではなく、自らの職業を実践するための道具へと、地位が低下していったのだ。それが一九八〇年代以降の、歴史学における新しい潮流であった。エヴァンズは、そのようなポストモダニズムの台頭と、それによる歴史的事実を軽視した歴史叙述の蔓延から、かつて自らが批判したランケ的な歴史的史料に基づいた伝統的な歴史学を擁護しようとした。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
慰安婦問題を提起する運動家は、韓国の女性の権利がかつては日本軍の軍人によって、そして一九八〇年代には日本人観光客によって蹂躙されていることが、耐えられなかったのだろう。 さらに神戸大学教授の木村幹は、従軍慰安婦への批判について、「この運動が当初から歴史学者たちよりも、女性運動家たちによって担われた」ことを指摘して、それが韓国内のフェミニズム運動と連動していたことを指摘する。「こうして従軍慰安婦問題は、韓国の女性達による、植民地支配批判運動と女性の権利向上運動、そして民主化運動の三重のシンボル的地位を獲得していくことになる(
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
このように、従来の伝統的な、歴史的事実に基づく歴史学ではなく、自らの運動を実践するための手段として「歴史」が用いられるようになっていく。正確な史実に基づく歴史を明らかにするよりも、過去の「事実」をシンボルとして操作的に利用することで、自らの望む方向へ現実を動かそうと運動するのである。だとすれば、韓国側が現代の日本政府の歴史認識に関する姿勢を批判するのに対して、日本側がその歴史的事実の不正確さを批判したとしても、うまく「対話」がかみ合うはずがない。
細谷雄一. 戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―(新潮選書)
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から