鎌倉時代ー1

ポイント

鎌倉幕府の統治機構

中世10 単語1 統治機構の全体図中世10 ポイント1 統治機構の全体図

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今回から、源頼朝がつくり上げた鎌倉幕府の構造を見ていきます。
まず1つ目のポイントでは、 統治機構、つまり「どんな役所や役職があったのか」を全体的に見てみましょう。

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中央(鎌倉)と地方(鎌倉以外の場所)で、それぞれ最初、どんな役所や役職があったのかを学んでいきます。
ちなみに鎌倉は相模国(今の神奈川県)にありました。

中央と地方に置かれた役所や役職の名前を覚えよう

中世10 ポイント1 統治機構の全体図 再利用

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鎌倉幕府は、将軍を頂点として中央と地方に別々の統治機構を形成していました。
まず、中央から見ていきましょう。

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中央に置かれたものとして、武士の統率を行う 侍所 (さむらいどころ)、政務一般を扱う 公文所 (くもんじょ)(後に 政所 (まんどころ)と名前が変わります)、訴訟・裁判を扱う 問注所 (もんちゅうじょ)というものがありました。

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一方で、地方には京都に京都守護、九州に鎮西奉行(ちんぜいぶぎょう)、陸奥(東北)に奥州総奉行(おうしゅうそうぶぎょう)が置かれました。
また、各地には 守護 (しゅご)や 地頭 (じとう)が置かれました。

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ちなみに、図にあるうち、 執権 (しっけん)や 連署 (れんじょ)もとても大切ですが、鎌倉幕府の成立直後にはなかったものなので、少し置いておきます。

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まずは中央と地方に何が置かれていたのか、名前だけ確認しました。
次は、中央と地方、それぞれについて詳しく見ていきましょう。

ポイント

中央の統治機構

中世10 単語2 中央の統治機構中世10 ポイント2 中央の統治機構

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ここでは、鎌倉幕府の中央(鎌倉)での統治機構について、見ていきましょう。

侍所・公文所(政所)・問注所とその長官を覚えよう

中世10 ポイント2 中央の統治機構 再利用

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政治の中心である鎌倉には、 侍所 ・ 公文所 ・ 問注所 という三つの役所が置かれました。

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侍所 は武士(御家人)を統率する役割をもちました。
この侍所の長官を「 別当 」といい、初代別当には 和田義盛 (わだよしもり)が就きます。

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公文所 は政務一般を担当していました。
この 公文所 は、すぐに 政所 と名前を変えています。
ここでも、長官のことは「別当」と呼びました。初代別当は、貴族出身の 大江広元(おおえのひろもと)でした。
「幕府」として武士が政権を握ったのは初めてであり、武士主導で政治を行った、ということが今までなかったため、政治に詳しい貴族をアドバイザーとしてつけた、ということです。

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問注所 は訴訟裁判を扱う役所です。
ここだけ長官の名称が異なり、「執事」と言います。初代執事は 三善康信 (みよしやすのぶ)でした。
彼も貴族出身です。

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侍所 ・ 公文所 ( 政所 )・ 問注所 、という3つの役所と、それぞれの初代長官について、漢字も間違えやすいので注意して覚えましょう。
このあたりはごちゃごちゃになって覚えにくいので、単語カードなどを作ってスキマ時間で一気に覚えるなど、工夫してみましょう。

ポイント

地方の統治機構

中世10 単語3 地方の統治機構中世10 ポイント3 地方の統治機構

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次に、地方の統治機構、つまり鎌倉以外の地方にどういうものが置かれたのかを詳しく見ていきましょう。

京都・九州・陸奥には特別な役職が置かれた

中世10 ポイント3 京都・九州・陸奥の3*2のセル部分のみ

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鎌倉幕府は、国内の重要な地域を監視する機関を置きました。
京都に置かれた京都守護、九州に置かれた鎮西奉行、陸奥(東北)に置かれた奥州総奉行です。
京都守護は承久の乱の後に 六波羅探題 、鎮西奉行は元寇の後に 鎮西探題 と、それぞれ名前を変えますので、また後で出てきた時に確認してください。

荘園・公領ごとに置かれた地頭の中から、リーダーである守護が選ばれた

中世10 ポイント3 守護と地頭の2*2のセル部分のみ

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特に大事なのは、全国に置かれた 守護 ・ 地頭 です。
まず地頭とは、御家人と呼ばれる武士のことであり、その 地頭は荘園・公領ごと に置かれました。
一方で、 守護は国ごと に置かれ、国中にいる地頭のうち、一人だけが就く役職でした。

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例えば、相模国という国があり、そこにはいくつもの荘園や公領がありました。
その荘園や公領一つひとつに 地頭 が置かれます。
そして、この 地頭の中から、リーダーのような形で相模国の守護が選ばれた のです。

守護の役割は大犯三カ条

中世10 ポイント3 守護の2セルのみ

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では、守護・地頭が実際に何をしたのか、見ていきましょう。
まず守護には、 大犯三カ条 という職務のみがありました。
後の時代に色々と職務が増えていきますが、最初はこの 大犯三カ条 しかありませんでした。

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この 大犯三カ条 (たいぼんさんかじょう)は、 大番催促 (おおばんさいそく)、 謀反人逮捕 (むほんにんたいほ)、 殺害人逮捕 (さつがいにんたいほ)の3つのことを指します。
大番催促 は、京都大番役という朝廷の警備業務を誰にするか決めて催促する権限のこと、
謀反人逮捕 ・ 殺害人逮捕 は、国の中で悪いことをした人を逮捕する権限のことです。

地頭の役割は税の徴収や土地の管理

中世10 ポイント3 地頭の2セルのみ

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地頭 は 公領・荘園ごとに設置 され、税の徴収、土地管理、治安維持を職務としていました。
以前、荘園だったら荘官、公領だったら郡司などと呼ばれた人たちが行っていた仕事と同じです。
これらの荘官・公領だった人たちが、地頭として任命された、というようなイメージです。

練習

一緒に解いてみよう

中世10 練習 空欄

解説

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最後に、鎌倉幕府の統治機構について練習問題で確認しましょう。

中央(鎌倉)に置かれた侍所・公文所・問注所

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鎌倉幕府の中央、つまり鎌倉には、武士を統率する 侍所 、政務一般を担当する 公文所 、訴訟裁判を担当する 問注所 の三つが置かれていました。
公文所は、すぐに 政所 と名前を変えることになります。

地方(鎌倉)に置かれた守護・地頭

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地方、つまり鎌倉以外の各地では、京都や九州といった重要な場所には、京都守護や鎮西奉行など、特別な役所が置かれました。

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重要なのは、国ごとに置かれた 守護 と、公領・荘園ごとに設置された 地頭 です。

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このうち 守護 は、 大犯三カ条 という職務を果たしました。
大番催促 、 謀反人逮捕 、 殺害人逮捕 の3つでしたね。

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一方、 地頭 は自分の担当となる荘園や公領で、土地の管理や税の徴収を行っていました。

練習の答え
中世10 練習 答え入り
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今回は、鎌倉時代の最初に置かれた役所や役職について、見てきました。
一度、自分で今回出てきた以下のような図を書いてみて、それぞれの役割や、初代の長官などがセットで覚えられているか、確認してみる良いでしょう。

鎌倉幕府の統治機構のおさらい
中世10 ポイント1 統治機構の全体図 ポイント1からの再利用