鎌倉時代:幕府の構造3ー確認テスト
1180年に、御家人統制を行う 侍所 が設置されました。
侍所の長官を 別当 と言い、初代別当には 和田義盛 が就任しました。
1184年に置かれた訴訟・裁判にあたる役職は 問注所 です。
問注所の長官を執事と言い、初代執事には貴族出身の 三善康信 が任命されています。
1185年、壇ノ浦の戦いがあった年に、京都に置かれた鎌倉幕府の機関を 京都守護 といいます。この京と守護は、承久の乱という戦いの後に、六波羅探題という名前に変わっています。
同じような地方におかれた機関として、九州には 鎮西奉行 がありました。これは、後に鎮西探題と名前を変えることになります。
ちなみに、陸奥(東北)には奥州総奉行が置かれました。
同じ1185年、国ごとに 守護 が、公領や荘園ごとに 地頭 が設置されました。
地頭の中から、国ごとのリーダーとして守護が選ばれたのでしたね。
地頭になる人は、将軍と 御恩と奉公 の関係を結んで 御家人 となる、ということも思い出しておきましょう。
財政や政務一般にあたる鎌倉幕府の役職を 公文所 (くもんじょ)といいます。
公文所の長官を別当と言い、その初代別当となったのは、貴族出身の 大江広元 です。
後の1191年には、 政所 (まんどころ)という役職に変わります。
ちなみに、「政所」とは元々貴族に使われていた言葉です。
政所という名前に変わった1191年は、源頼朝が右近衛大将という朝廷の役職に任じられた年です。
源頼朝は、この右近衛大将自体はすぐに辞退しますが、お役所の名前を貴族風の「政所」に変え、以後この名前で運用していくことになります。
鎌倉時代の封建制度における「御恩」は、将軍が御家人を地頭に任命し、担当する土地の領有権を保証することでした。
このうち、新たに土地を与えるものを、 新恩給与 (しんおんきゅうよ)と言います。
一方で、御家人となる人がそれまで持っていた土地の領有権について、将軍が承認するものを、 本領安堵 (ほんりょうあんど)といいました。
一国に一人置かれた守護の権限は、謀反人逮捕、殺害人逮捕のほかに 大番催促 (おおばんさいそく)がありました。
この三つの権限を合わせて 大犯三カ条 (たいぼんさんかじょう)と呼びます。
守護の権限は最初、この大犯三カ条だけでしたが、鎌倉時代、室町時代と時代が進むにつれ、徐々に権限が追加されていくことになります。
最後は、鎌倉幕府の御恩と奉公に関する正誤問題にチャレンジしましょう。
正しいものを2つ選ぶ問題なので、正しい選択肢が2つ、間違った選択肢が2つある問題です。
①は誤り、②は正しいです。
①にある俸禄とは、お給料のことと考えてください。
その俸禄として米を支給する、という話が出てくるのは、もっと後の時代になります。
②にあるように、鎌倉時代の 御恩 とは、 地頭 に任命して土地の領有権を認めてあげることです。
今まで持っていた土地の領有権を認める「 本領安堵 」と、新しく土地を与える「 新恩給与 」の2つがありましたね。
③は誤り、④が正しい選択肢です。
合戦や大番役への御家人の動員は、 守護 の権限である 大犯三カ条 の一つである 大番催促 に含まれていました。
前の時代から出てきていた、律令制度における各国のトップである国司の役目ではありません。
御恩とはどういうものだったか 、 大犯三カ条はどういう中身だったか 、ということの復習として、良い問題だったのではないでしょうか。
今回学んできた様々や役所や役職は、今後勉強していく上で何回も出てきます。
一度ここで覚えてしまい、今後出てくるたびにどういう内容だったっけ、と振り返り、分からなくなったら前の回に戻って確認しながら進めていってください。
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鎌倉幕府の構造に関する確認テストを解いていきましょう。